川崎町 葛西信一氏
-根本史料「続日本紀」を読み込みさえすれば、「覚鱉城」造営の場が「河崎柵」跡に重なって観えてくる。そういうことを地元「川崎町門崎」側から発表。しかも発表者自身の地所で、「和同開珎」が出土したというのだから、これまさに奈良末・平安初期の甦りと出会いだというほかない。
詳しくは下記のPDFをご覧ください。