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【第1信】新発見 「埋蔵文化財」しっかりした船着き場跡(あるいは「船番所跡」か?)出土

 まるっきりのびっくり!北上川河畔護岸工事に伴う掘り起こし中、これまでの記録や云い伝えになかった船着き場跡らしいスガタが、いきなり出土したというのですから、みんな目を丸くしているところです。

 所は、陸奥話記の「前九年の役」に出てくる「河崎柵」跡に近い、北上川水位から10m高の台地、幅4、5m、長さ28mの広さ一面に、どっかとした粘板岩敷石が2段か3段重ねで敷き詰められ、また川辺までの斜面には崩れを防ぐ石組がきちんと重ねられてあるのです。

 これ、いったい「いつごろ<When>」、「誰が<Who>」、「なぜ<Why>」、「どのようにして<How>」、こういう立派な石組み造ったのだろう?

 あっけにとられていた現地見学者みんな、次に考えること、知りたくなること、それが上述の謎解きを求める話し合いの高まりです。「あ―だろうか?」「こ―だろうか?」…… だんだん話が煮詰まって行くんですが、だいたいの向きは、北上川を上り下りする船舶の動きを見張り、徴税などをおこなう船番所がここに置かれたのだろうという曖昧ながらの落ち着きどころでした。その上といったら良いのか、その台地に敷きつめられてある石の直ぐ下の土砂の「土壌分析」を専門家に依頼し、いつの時代の築堤だったのか考証できるなら、それに越したことはないということでした。

 なるほど時代考証ができるなら、この船着き場につながる謎解きの拠りどころにすることができる。だがいったい誰が誰にお願いしたら良いのだろう……。そこまでで先日はストップしています。

 だが何といってもこの北上川は、古くから水上交通の大動脈の役割を果たしていたもの。世界遺産平泉藤原の時代だって北上川主軸の水運で栄えたと云えるし、それ以前の奥六郡の司安倍氏の時代も同様のこと、我々地元「磐井っ子」にとっての「母なる川」、歴史文化のお話しは尽きることがありません。ですから、今年度事業の紙芝居「舞草刀物語」制作が「磐井っ子」共同体(コミュニティ)づくりを目指すものだったと同様、この北上川歴史の重要ポイント川崎町門崎字川崎字銚子地区の川辺に出土したこの「埋蔵文化財」=船着き場(船番所?船門ふなと?)をどう扱うかについても、我々市民会議の主体性を尽くさねばならないと、そう考えているところです。


①3月2日 護岸工事試掘中


②3月7日 二の框(わく) 敷石が現れる


③3月7日 上記②の拡大


④3月17日 二の框(わく)きれいな全貌


⑤3月17日 一面の敷石をご覧


⑥3月17日 一面の敷石をご覧


⑦3月17日 崩れを防ぐ法面(のりめん)もしっかり