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みちのく中央学習市民会議刊行「甦るみちのく中央」

―執筆者あいさつ―
   
 「みちのく中央学習市民会議」嘱託の客員研究員として研究執筆に携わった関係から一言ご挨拶申し上げます。
 
 この度市民会議のみなさんの親身も及ばぬ懇切なるご配慮と、まわりにあって学習の行方をあたたかく見守り続けて無言のはげましを賜わった多くの方々のご支援のお蔭をもちまして、三年間継続した市民会議での新しい学習成果を、上記題名の報告書としてめでたく刊行することのできる運びとなりました。研究員として、研究執筆を一任されて事に当ってまいりました者として感慨無量のものがあります。いろいろとご配慮を賜り、あたたかいご支援をお寄せ下さった方々に、お礼代わりにこの本執筆にあたり特別に意を用いた点に一言ふれてご挨拶とさせていただきます。
 
 この本はわれらの郷土磐井学習の会の新しい再出発を期するものです。中国古典の「孟子」という本には「学問の道は他なし、その放心を求むるのみ」とありまして、ほんとうの勉強は、いたずらに近きにある道を遠くに求め、易しいところから始めるべきものを、無理して難しいものについて学ぼうとする過ちを反省し、「忘れてしまっている一番大切な身近の根本の真実に立ち戻る」ことを「学問の原点」とすべきだと、きつく戒めておられます。
 
 この本は、この二三〇〇年前の教訓を「温故知新の学則」に学び直し、「磐井地方学(じかたがく)」という「郷土根底からの出直し学習の基本」に据えて、一方には「木を見て森を見ない」ような「お国自慢」にとどまっていることのないように自戒するとともに、他方では、万事我が物顔に振舞う「お仕着せ中央史観」は綺麗さっぱり脱ぎ捨てて、「全く新しく日本を見直し考え直す 地方(じかた)日本学」を目ざすものです。
 
 先ず「磐井の郷土の真実」を「大地の根元」から見直し考え直して「そこを生きている(ウル)日本、普遍人間」を掘り起こすのです。そこから「岩手」を「東北」を、広く展望する「地方学(ちほうがく)」へと歩を進めるのです。「地方の時代の基礎哲学」は、この「地方学(じかたがく)」に型どってはじめて「地方学(ちほうがく)」になるのです。そして無理なく国家日本を「地方(じかた)」から「地方(ちほう)」から考え直し再構築する「地方(じかた)日本学」へと進むのです。
 
 「みちのく中央磐井」というのは、その学習目標を一身に体現するシンボルマークとして、確かな歴史「吾妻鏡」というものの中に明記されているところを選び取り、「磐井地方日本学」学習の基礎に据えたものです。平泉は明確にこの自覚に立って、「みちのく中央のあの歴史と文化」を創り出して、苦難に満ちた遠い「みちのく未知の国の過去」に灯を点すとともに、来るべき一層多難な「未来日本」に希望の明日を照らし出したのです。
 
 平泉から六〇〇年経って、芦東山という偉大な法学者がこの地に出て、「刑は刑無きに期す」る大理想を掲げて、「無刑録」という予言的な名著を著作されました。このグローバルな名声高いコスモポリタン(「世界市民」)は、同時に「自覚し切った郷土主義者」でした。「みちのくのひんがし山のひんがしを見てこそ知らめ日の本の日を」という「日の本磐井の歌」を詠んでいます。みちのく日高見国が「日辺の国」として最初に「日本国(「日の本の国」)」を号し、ヤマト日本国号を先がけていたことを百も承知の上で詠まれたこの「東方みちのく東の日の本を知ってこそはじめて日本になるのだ」という「われらの磐井歌」に、わたしたちは「みちのく中央中興の呼び声」を聞きとるのです。
 
 そしてすぐその後を承けて青柳文蔵の「書は賢子孫なり」の「青柳文庫」が来るのです。「温故知新、以て師と為すべし」というのですが、歴史の学習を新しく報本収始の感謝の学に位置づけているところに、この人の地方学「以て師と為すべき尊さ」があるのです。
 
 最後に来る終末の章(フィナーレ)は「そこではあらゆることが可能である」と「夢見るドリームランド岩手の国の詩人作家宮沢賢治の章」です。このイーハトーヴの作家は特別にこの磐井の国を「その夢の揺籃の地」として選び取られました。その見果てぬ夢を「未来のレアルイデアル(現実的で理想的)な希望」にとらえ直して「明日に向けての磐井の書」は全編終えるのです。
 
 すべてみなさんのおかげで、ここまで漕ぎつけた本です。みなさんがそれぞれに気に入るような形で、それぞれに活かして下さい。それら全体をつなぎ合わせれば、郷土のあるべき全体像が浮かび上がってくるのです。