コンテンツ一覧
- 平泉文化の再評価
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「中尊寺供養願文」が示す、一世紀にわたる奥州藤原の歴史文化の真意義が究め尽くされていない。その追求を市民の手で! 学者たちを当てにしておれない。
- 武家政権としての平泉政権
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「武家政権」は、平泉藤原「柳の御所」に始まったもの。それを頼朝が真似て鎌倉に、この「柳営の原理」を落ち着かせたのが中世「鎌倉幕府」。「軍中将軍の令を聞く 天子の詔を聞かず」とはこの思想。
- 平泉歴史のすべて 吾妻鏡文治五年九月条
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「寺塔巳下注文」だけで平泉歴史文化に迫るのでは狭すぎる。それを含めての「吾妻鏡」文治五年九月条全体にわたる勉強によってこそ、いったい「平泉とは何だったのか」、その正体が観えてくる。
- 平泉文化論が見落としてきたもの
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「日本国中央」をどことしていたのか。「大倭日高見国…」と日本国が「大倭」と「日高見国」二つの国に分かれていたのか。「阿育王刻文」と「中尊寺供養願文」が重なって見えるってほんとうか等など、盛り沢山な見落しがここに。
- 東方見聞録のジパングのこと
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マルコポーロ「東方見聞録」にみられるジパング。黄金づくめの宮殿、まだ誰も行ったことのない国。これは「ヤマト日本」を言うのではない。「もう一つの日本=日高見国」、みちのく平泉を軸にした地域呼称の「日の本」を指している。
- 義経と平泉武士道 伝承を歴史にするもの
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今なお伝えられている「判官びいき」、その伝承を歴史にしていこう。平泉と鎌倉、秀衡と頼朝。その秀衡の遺言が「義経を総大将に平泉を守れ!」だったのだが、義経と平泉武士道の間に、どういうからみがあったのだろう。